破壊と創造

破壊と創造

 

美術手帳総力特集現代アート事典をよみながらふと思ったことを今日は書いてみます。

 

常に新しい表現を模索し、その繰り返しの現代アートですが、やはり前の時代のイズムや流行を否定し、過去の歴史のどこかの部分を引用し現代風にアレンジするとうなことも当然されます。
それは決して悪いことでもなく、完全なオリジナルというものが存在しない以上、模倣と想像を繰り返すのは至極自然なことです。
「模倣と創造」というタイトルで過去に池田満寿夫が一冊の本を出しております。

 

世界のアート界で起きてることは、当然狭い世界でも起きてるわけで、たとえば美大を目指す受験生が通う予備校においてもしかりです。

 

私が高校生のころ、東京芸大に受かるための油絵というものがありました。
対象であるモチーフを光と陰をきっちり表現し、そう石膏デッサンの延長のように。なおかつ自然界に線や陰に黒が存在しないと言う理論に基づき、受験風印象派のような油絵が受験用の絵のように思われた時期がありました。

 

当然写実ですが印象派以前のリアリズムとは少しおもむきが違います。
きれいですし、私は憧れ、そのような絵が描けるように努力し、とても楽しいく絵を描いてた時期もあります。セザンヌの「赤いチョッキの少年」をイメージしてもらえれば分かりやすいです。
h-cez5.jpg
例えば狭い世界の公募展などではいまもそのような絵が主流のところがあるかもしれません。

 

予備校で毎日そんな絵を描いてれば、当然いつかはかけるようになる訳で。そんな絵に甘んじてるときのコンクールで(予備校ではよくコンクールを行い順位付けをします)、突然、フランシス・ベーコンのような絵が出てきて、コンクールでの上位に入ってきました。
荒々しい筆触で描かれたその人物は、人間の深層心理を暴いてるかのようにキャンバス上に存在しており、印象派風写実主義の油絵の中にあって異彩を放っておりました。
cruc62_right.jpg
cruc62_center.jpg
彼が、周りのそういう絵を否定してそんな絵を描いたのか?それとも画集をみていて何かとても引かれるものがあったからなのかはわかりませんが、やはり受験用の絵に対する反発、否定というのはどこかにあったのかもしれません。

 

 

今も、NYで頑張っておりブログを通じてのお互いの近況は少しはわかります。
その彼がなんか今スランプに陥ってるようですが、そういう時期も必ず皆あるわけですから、あせらずに今の状態と向き合ってもらいたいと思います。