椹木野衣 「日本ゼロ年」

椹木野衣 「日本ゼロ年」

今更ですが、かの名著「日本・現代・美術」を読んでます。

 

 

同じ椹木野衣氏の著書「美術になにが起こったか?1992‐2006」を読んで、すっかりファンになってしまいました。

 

1990年以降の日本の現代美術の動きを性格に語れる数少ない美術評論家だとおもいます。

 

 

 

70年代後半から80年代悶々としたアート界を、今こうやって解説されると色々考えさせられることばかりです。

 

「閉じられた円環」「悪い場所」とはよくぞいったもんだと思います。感心します。

 

しかし、80年代後半のニューペインティングの影響を受けて出現した表面的な日本の美術に対しての考察が一部間違ってるかなと。。。

 

それこそ、ファインアートと商業美術の中間の場所に新たに立ち位置を見いだそうと頑張っていたアーチストの存在を無視して、全てがデザインの領域からのアプローチと考察してるあたりには疑問を持ちます。

 

そもそも当時のファインアートって何?

芸大系の銀座系アートですか? NYアートの二番煎じですか?

そういう意味では商業美術系の方が、オリジナリティーありましたね。

 

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美術になにが起こったか―1992‐2006

 

 

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日本・現代・美術 [ 椹木野衣 ]

 

美術になにが起こったか1992-2006 [ 椹木野衣 ]

 

 

 

 

 

写真は椹木野衣氏が企画した、日本現代美術の原点ともいえる水戸芸術館での展覧会のポスターです・
椹木野衣氏のこの展覧会の趣旨を引用して掲載いたします。

 

 

「日本ゼロ年」に向けて -- 椹木 野衣(さわらぎ のい、美術評論家)

 

「日本ゼロ年」の〈ゼロ〉は、既成の枠組みをリセットすることを意味しています。
単刀直入にいって、ここでの「既成の枠組み」とは、 日本における「現代美術」(ないしは「現代アート」)のことです。

 

いまでも、「現代美術の…」といった展覧会は頻繁に目につきます。 しかし、そこで使われている「現代美術」という名称がいったいなにを指し、 そもそもいつごろから使われるようになったかについては、さまざまな解釈こそあれ、 あらためて問われることはありません。
もちろん、本展が開かれる場所も、 「現代美術センター」であることにはかわりません。
にもかかわらずここで、 あえて、この「枠組み」そのものを問おうとしていることには、わけがあります。

 

ひとつには、「現代美術」という枠組みが今日なお、本当に有効でありうるのかどうか、 ということ。
そしてまた、もし有効でないとしたら、それはなぜなのか。 また、そうだとして、それでは「現代美術」にかわって、どのような考え方を採用するべきなのか?

 

こうした意味での「現代美術」は、1968年前後に起こった新左翼運動の敗退を期に決定的なものとなり、 社会的地平から自立した領域に閉じこもることによって、今日に至るまで数々の制度に支えられながら、 「既成の枠組み」をかたちづくりました。

 

 

けれども、冷戦は、1990年前後に起こったベルリンの壁の崩壊やソ連邦の消滅を受けて、 短期間のうちに解体してしまいました。
そしてそれにともない、 政治や経済をはじめとする国際社会の再編成の中で、日本の社会は大きく揺らいでおり、 それにともない、美術を語る道具立てや作品をめぐる風景もまた、大きく変化しています。

 

本展は、すでに示した理由から、そうした変化をなお、 「現代美術」の一動向ないしは歴史的段階として括ることはしません。

 

それは、より大きな構造変化に伴う、「現代美術」なき世界へと、わたしたちが突入しつつあることを意味するのではないでしょうか。

 

以上のような観点にたって、「日本ゼロ年」では、 「現代美術」が暗黙のうちに採用してきたいくつかの前提をリセットすることを提案します。

 

ひとつには、「現代美術」の自立性や、それを支えてきた既成の美術史、 作品が発表されるコンテキストや受容層といったものをあらかじめ前提とせず、 あらゆるジャンルで全方位的に活動してきた(しうる)作家に焦点を当てる、 ということ。

 

もうひとつには、ジャンル固有の歴史的発展や現代美術の純粋性を前提としない以上、 そこでは、美術とデザインとサブカルチャーとを問わず、 あらゆる様式はたがいに等価なものとみなされ、「様々なる意匠」として自由にサンプリングされ、 リミックスされる、ということ。

 

また、こうしたことを可能とする「構造変化」があったとして、 こうした変化に下部構造的に規定されるだけでなく、そのような変化をあらかじめ先取りし、 それにともなう混乱に、今後とも、あるモデルを提示しうる、ということ。

 

 

こうしたことを通じて、既成概念化した「現代美術」への拘泥とも、 冷戦崩壊以後の安易なグローバリズムへの参入とも異なる可能性を、 「日本」という言葉をキーに探ってみようというのが、本展のねらいです。

 

 

これらのことを考えるために、ここでは、戦後の日本の美術を考えるにあたって、 いくつかの仮説を採用します。

 

まず第一に、「戦後」という時間軸の中で、 1955年と1968年、それから1990年に大きな切断面があるということです。

 

1955年は、俗に言う「55年体制」が確立された年にあたり、 それは、敗戦国であった日本が国際社会への復帰を完了すると同時に、 冷戦構造における「西側」の「世界」に組み込まれたことを意味します。 「現代美術」という言葉が「世界」や「国際性」といった言葉と入り交じりながら、 人々の口にのぼり始めたのも、このころのことだと思われます。

 

つまり、「現代美術」という枠組みを支えているのは、ひとつには、 戦後の国際社会における冷戦のイデオロギーであることが考えられます。